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カウント・ベイシー・オーケストラ

カウント・ベイシー・オーケストラは、アメリカのジャズ・ピアニストである
ウィリアム・カウント・ベイシーが、率いたビッグバンド。

 

スウィングジャズ、ビッグバンドの代表にも、挙げられる人気を博したジャズバンドです。

ベイシー・イズ・バック(紙ジャケット仕様)

 ビッグバンドを結成するまでのカウント・ベイシーは、母親から教わったピアノの経験を生かし、

 

1924年頃から、ブルース歌手の伴奏とソロ演奏を主にプロ活動を開始。

 

その後、多くのジャズ・ミュージシャンと出会いながら、プロとして活動の場を広げていった。

 

1929年に参加した、ベニー・モーテン楽団のリーダーだった、ベニー・モーテンが、
1935年に亡くなったことで、カウント・ベイシーが後任のバンド・リーダーとなり、
ジャズ・オーケストラを結成し、この頃から"カウント・ベイシー"の愛称を使うようになったようです。

 

1936年末、ニューヨークに活動拠点を移した、カウント・ベイシーは、
自らが率いるビッグ・バンドを結成。

 

これが、世界的に人気を博し、今もなお語りつがれているビッグ・バンド
”カウント・ベイシー・オーケストラ” です。

 

カウント・ベイシーの初期の頃の黄金時代を「オールド・ベイシー」と呼ばれ、
第二次世界大戦後の不況で、バンドの経営が成り立たなくなったこと、

 

ビッグバンドスタイルそのものが、低迷したということもあり、当時あった数々のビッグバンドが、
活動休止や解散に追い込まれています。

 

カウント・ベイシー・オーケストラも、同じように一時解散。

 

1951年頃、オールド・ベイシー時代の仲間と共に、ビッグ・バンドを再結成、
新しいメンバーも加わり、活動が再開されています。

 

その後、ヴァーヴ・レコードと契約し、数々の名盤を残しています。
この頃が、”ニュー・ベイシー” と呼ばれた時代です。

 

1984年カウント・ベイシーは、膵臓ガンのため死去、享年79歳でした。

 

カウント・ベイシーの死去後、残ったメンバーが、オーケストラとしての伝統とプライドを
継承しつずけ、2003年には ”ビル・ヒューズ” がバンドリーダーに就任し、
現在もなお、カウント・ベイシー・オーケストラは世界で活動しています。

 

カウント・ベイシーのピアノが、またなんとも味があります。

 

本当に弾く気があるのかなと、もわせるくらいに手数が少ない演奏ですが、
その音が、絶妙に絡みいい味をだしています。

 

カウント・ベイシー・オーケストラ 「Corner Pocket」

 

 

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